私が受けてきた学校教育を振り返って、小・中・高から大学時代にいたるまで、日本人移民の歴史について授業で学んだ記憶がほとんどないのですが、みなさんはいかがでしょうか?
明治時代以降に日本を出て海を渡った日系移民の存在を私が初めて認識したのは、学校の授業の中でではなく、1984年に公開されたアメリカ映画『ベスト・キッド』でした。
主人公の少年に空手を教える東洋人の「ミスター・ミヤギ」は、第二次世界大戦開戦前に故郷の沖縄からハワイ〜カリフォルニアに渡った日系移民です。シリーズ1作目のとある場面で、ミヤギがかの戦争で米軍兵として戦ったこと、そして彼の家族が日系人収容所に収監されていたという過去が明らかになります。
ミヤギが秘めていた悲しみに、私はこの映画を見るたび涙したものでした。しかし、ミヤギの日系人像があまりにも理想的で完璧に見えたために、かつてさまざまな理由で祖国を離れた日系移民の実情について深く掘り下げることなく過ごしてしまいました。
英語が多少読めるようになり、海外からの視点で日本のことを考える機会が増えるにつれて、また世界中で移民が加速化するにつれて、日系人の歴史をきちんと知っておかなければと思うようになりました。何冊か洋書を取り寄せ、少しずつ読み進めているところです。
今回はその中の一冊、日系アメリカ人作家ジョン・オカダによる小説「No-No Boy」をご紹介します。
ミスター・ミヤギのような映画向きの英雄は出てきませんが、戦後の日系コミュニティーの「実際」を知ることは、複雑化する世の中で自分はどう生きるべきかを考えるいい機会になるはずです。
戦時の日系アメリカ人を苦しめた「忠誠心調査」。
日本軍の真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まると、日系人は「敵性外国人」とみなされ、アメリカ国籍の有無にかかわらず強制収容所に送還されました。その際、18歳以上の日系人には「忠誠登録」なるものが求められ、思想信条を問われることになりました。設問のうち次の二つの項目は大きな問題となり、コミュニティーの分裂や世代間の対立を生むことになります。
・米軍に入隊し、戦闘地で任務を遂行するか
・合衆国への忠誠を誓うとともに、日本の天皇および他国への服従を拒否するか
この二つの質問に、アメリカ国籍を持つ大多数の日系人が「YES」と答え、『ベスト・キッド』のミヤギのように、米軍兵士として戦地に赴く男性も数多くいました。
一方、二つの質問に「No」と答えて徴兵を拒否した者は重警備の収容所に隔離されました。「ノー・ノー・ボーイ」と呼ばれた彼らは、戦争が終結してからもアメリカ社会で迫害され、さらには同胞からの激しい非難に晒されることになったのです。
戦争によって破壊されたコミュニティー。
小説「No-No Boy」の主人公は、日系アメリカ人二世のイチロー・ヤマダ。アメリカへの忠誠を拒否して投獄されたイチローが刑期を終え、生まれ育ったシアトルの町に戻るところから物語は始まります。2年ぶりに戻った我が家は愛国心をめぐって崩壊寸前、かつての同級生だった退役軍人からは罵倒され…。仲間同士の対立やコミュニティーの分断を目の当たりにして居場所をなくしたイチローは、心のよりどころを求めて苦悩することになります。
戦争によって移民が受けた心の傷の大きさに、胸が張り裂ける思いでした。理不尽な人種差別のもとに実施された隔離政策。アメリカ生まれでありながら、アメリカ政府から受けた仕打ちが許せず忠誠を拒否した「ノー・ノー」たちの気持ちを思うと、自分の身まで切られるような辛い気分を味わいました。
それに、アメリカに忠誠を誓って従軍したところで、人種差別がなくなるわけではありませんでした。退役軍人となった同級生がイチローを罵るのは、白人と同等に扱われない不満の捌け口がそこにしかなかったからです。『ベスト・キッド』のミヤギさんも、第442連隊戦闘団で果敢に戦い合衆国から勲章を授けられましたが、強制収容所に残した大切な家族を守ってはもらえませんでした。
止まない人種差別、家族や友人との断絶を正面から見つめ、無力感と闘いながらも自分の生きる道を模索するイチロー。著者のジョン・オカダはこの世にいないので続編を読むことは叶いませんが、もし小説の続きがあるとするなら、人の心の痛みを知るイチローが負の連鎖を断ち切る姿が見たい。イチローならあのミスター・ミヤギのように、次の世代の若者を優しく静かに正しい方向に導いてくれる…。この小説の読後には、そんな希望の光がかすかに見えました。
すべてを受け入れ、時間をかけて答えを出す。
この小説では人種差別の問題のほか、世代間の分断についても触れられています。イチローの親世代である移民一世は、より良い生活を夢見て祖国を離れ、激しい差別と過酷な労働生活に耐え続けた人々です。苦労の末に築いた家族の絆も戦争によって壊され、子の世代からは恨まれて…。彼らの無念を思うと胸がキリキリ痛みます。
山ほどの苦労をしてきたからこそ、彼らの言葉には重みがあります。イチローの父親は、自分の存在意義を疑い悩み続ける息子に対してこう伝えます。
It is not always a happy life but, sad or happy, it can be a good life. It is like the seasons. It cannot always be fall. I like the fall.
John Okada “No-No-Boy” (University of Washington Press) p. 189
人生いつも幸せに過ごせるわけではないが、悲しくても幸せでも、良い人生にはなりうる。季節がめぐるようなものだ。いつも秋というわけにはいかない。私は秋が好きだがね。
You take time, Ichiro. There is no hurry. I do not understand everything that is troubling you. I know– I feel only that it is very big. You give it time. It will work out.
John Okada “No-No-Boy” (University of Washington Press) p. 189
時間をかけなさい。急ぐことはない。お前の悩みをすべて理解することはできないが、お前にとってはよほど重大なことなんだろう。時間をかけて解決すればいい。きっとうまくいくさ。
今すぐ答えを出したいと思っている人にとって、これらの言葉が慰めになるかどうかはわかりません。ただ、長いトンネルにも必ず終わりがある、そう思うだけでも救いになるのではないでしょうか。世の中には、すぐには解決できない問題がたくさんあります。しかし、これまでさまざまな試練を乗り越えてきた人が「きっとうまくいく」と言うのだから、きっと大丈夫なのです。明日のことは誰にもわからないけれど、今この瞬間は大丈夫。
日系人の歴史は学校教育で取り上げるべき。
日系アメリカ人に関する歴史は、今こそ学校の授業できちんと取り上げるべきだと思っています。日本の若者には、この世に人種差別が存在すること、自分はいつでも差別する側にもされる側にもなりうるということを、早いうちから知っておいてほしいです。
「No-No Boy」には、人種差別や世代間ギャップ、そして若者のアイデンティティーの模索といった普遍的なテーマが内包されています。このような作品が、高校の副教材などで取り上げられたりしたらいいなあと思います。これは、若いうちに勉強する機会を持てなかった私の切実な願いです。
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