2018年に刊行されて以来、累計10万部を突破するベストセラー作。
…ということなのですが、たいへん恥ずかしながら、私はこれまでこの作品のことはおろか、著者の小手鞠るい先生についてもまったく知りませんでした。ごめんなさい…。
ある日たまたま覗いた「文春オンライン」にこの記事が掲載されており、たちまち私の心をつかんだのでした。
日本への原爆投下について、このような形で語る方法があったんだ…という驚きをもたらしてくれる本です。戦争という重いテーマでありながら、読後は垂れ込めた雲が晴れて心に光が降り注ぐような、爽やかな感動に包まれました。
上の記事で著者ご本人が語っている通り、長くアメリカ生活を送る日本人の著者にしか書けない物語だと思います。
それではさっそく、この作品について語っていきます。
あらすじ
2004の夏、アメリカ・ニューヨーク州北部の小さな町。
日本人の母親とアメリカ人の父親を持つ15歳のメイは、高校の先輩に強く依頼され、町のカルチャーセンターで開催される公開討論会に参加することになりました。テーマは「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の是非」。メイを含む8人の高校生が肯定派と否定派に分かれ、4回にわたって論戦を繰り広げます。
聴衆に見守られる中で激しい議論を展開した先に、8人が見出した答えとは…。
ここがポイント
ディベートの意義と醍醐味を知る。
「ディベートとは、相手を言い負かすことではない」
この本を読んで、改めて私が気づいたことです。ディベートとは、他者の主張に耳を傾け、互いに理解しあうことなのだと。
ディベートに挑むときはまず大量の資料を読み込み、主張の根拠を明確にします。この時点で、自分にはコントロールできない客観的な事実と向き合うことになります。そして、相手に反論するためには、相手の主張の裏付けとなる事柄、つまり自分たちの意見とは正反対の事柄についても知っておかなくてはなりません。
その後、聴き手の心を動かすようなストーリーを練っていくわけですが、相手の出方を先読みしながらいくつものプランを用意し、成り行きによっては話す内容を変更できるよう、細かく戦略を立てる必要があります。
そして最後にものを言うのがスピーチ力。声のトーンから抑揚、話す速度や間の取り方まで、聴き手の心に最も響く話し方を計算した上で演壇に立ちます。
ディベートに先駆けて行うこれらの作業はすべて、他者の存在があってこそ必要なものなのです。
自分の意見を持つことはもちろん大事ですが、言いたいことをしっかり伝えたければ、まずは相手についてよく知ることが大切なのですね。
思えばアメリカでは、サンドイッチひとつ注文するのにも、パンの種類や焼き加減、メインの具、トッピング、ソースやマスタードの有無など、実に細かくあれこれ聞かれます。そのお店のメニューやシステムを知らなければ、ランチにありつくことができません。お店の人はこちらの答えを待ってるし、後ろでは他のお客が列をつくって待ってるし…。サンドイッチのオーダーは(日本人の感覚からすれば)まさに真剣勝負です。
本当に自分が欲しいものを手に入れるためには、手間を惜しまず他人とじっくりコミュニケーションをとることが必要なのです。アメリカ人は幼いころから、多様な文化の中でそんな訓練をずっとしているんだなあ…。
えーと、何を言いたいんだかわからなくなってきましたが…笑
ディベートというとどうしても、プロレス的な要素ばかりに目が行ってしまいますが、討論の行き着く先は対立ではなく、相互理解なのです。
8人の高校生による白熱した議論の行方を見守りながら、ディベートの意義と醍醐味をあらためて知ることができました。
原爆を語る物語なのに、重くない。
原爆投下を直接的には描かず、「日本から遠く離れたアメリカで暮らす現代の若者が資料などから得た事実」だけをベースに物語が展開します。
そのドライな描写の中では、戦争被害の当事者が抱く負の感情はいったん傍に置かれます。データの積み重ねによって語られる戦争の実態。読み手はいっときの感情を振り回されることなく事実を客観的に把握し、戦争がもたらす悲劇や核兵器のあり方について落ち着いて考えることができるのです。
戦争を語り継いでゆくのにこんな方法があったのか…と、私が感嘆したのはこの部分です。
アプローチは違えど、みんなの願いはただひとつ。
ディベートの勝敗の行方は、読んでのお楽しみにしていただくとして…。
私個人は、原爆には明確に反対の立場です。アメリカは確実に、原爆の投下によって地獄の扉を開けてしまった。
しかし、原爆肯定派の理屈も理解はできるのです。主張の根底にある思いは、肯定派も否定派も同じ。両者とも、世の中が平和であること、それだけを願っているのです。ただ、結果へのアプローチが違うだけ。
相手の立場になって物事を考え、とことん議論をつくせば、意見の違う相手ともきっと分かり合える。この小説に込められた希望あふれるメッセージに、多くの人が共感するのではないでしょうか。
英語版もあります。
洋書読み、そして英語を勉強中の人にうれしい英訳版が刊行されています。アメリカの生徒たちがどのような英語を使って激論を交わすのか、その臨場感をぜひ味わってみてください。
英訳を担当したのは、著者のパートナーであるアメリカ人のグレン・サリヴァンさん。とても読みやすい英語です。
心に残った英文
英語版をご紹介したところで、私の心に残った英文と、原文の日本語を合わせてどうぞ。なお、丸カッコ内は筆者による補足です。
“(In the worldview of Japanese speakers,) The division between “I” and “you” is obscure. Like wind or water or air, they merge into one. Into a single, invisible world.”
Rui Kodemari/Glenn Sullivan “On A Bright Summer Morning” (Kaisei-Sha) p. 149
「日本語の『私』は、まるで風か水か空気みたいに、自己主張をすることなく、『あなた』に溶け込むような形で、『世界』と一体化するような形で、存在しているの」
小手鞠るい「ある晴れた夏の朝」(文春文庫) p. 165
ディベート最終ラウンドの日、勝負をかけて挑む主人公に、日本人の母親がかける言葉です。どのような流れでこの言葉が登場するかは、ぜひご自身で確かめていただければと思います。
この一文を読み、自分が日本語の話者であることをあらためて誇りに思いました。日本語がもたらす「察しの文化」に困るときもありますが、その曖昧さこそが、時にコミュニケーションの潤滑油になるのではないかと。
分断が進む国際社会をやさしく包みこみ、「あなた」と「私」の垣根を取り払う、そんな役割を日本人として引き受けていけたらいいですね。難しいことではありますが。
私のお気に入り度 ★★★★★
戦争がテーマでありながら、希望を感じさせてくれる1冊。日本語と英語の両方で読めるのもうれしいし、表紙のデザインもさわやかでとっても素敵。
自分が中学生・高校生のときに、こんな本に出会いたかった!
それでは、またお会いしましょう。
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