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戦争に引き裂かれる日系アメリカ人と中国系アメリカ人の恋 Hotel on the Corner of Bitter and Sweet (Jamie Ford)

ヒストリカル・フィクション
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読み終わったあとで「良い読書体験だったな」と思える本には二通りあります。一つは、先が気になってページを繰る手が止まらなくなるもの。そしてもう一つは、読み終わるのがイヤで、1日に数章ずつじっくりと味わいたくなるものです。

「Hotel on the Corner of BItter and Sweet」は後者にあたる一冊でした。第二次世界大戦下で芽生えた、中国系アメリカ人の少年と日系アメリカ人の少女の恋。彼らを待ち受ける運命をゆっくりとなぞるべく、時間をかけて少しずつ読みました。

あらすじ

1986年のシアトル。中国系アメリカ人のHenryは、長く癌を患っていた妻を看取って以来、空虚な日々を送っていました。

ある日Henryは、かつて日本人街のランドマーク的存在だった「パナマ・ホテル」の前に人だかりができているのを目にします。長らく閉鎖されていたその建物の中から、第二次世界大戦下で強制収容所送りとなった日系人の所有物が多数見つかったというのです。

そこでHenryの目に留まったのは、鯉の絵が描かれた1本の和傘。それは1942年、彼が12歳の時に出会った日系人の少女Keikoの持ち物によく似たものでした。

Keikoと過ごした日々の思い出が鮮やかに蘇り、Henryは40年以上も前に失くした大切なものを取り戻す決意をします…。

ほろ苦くて甘い恋の行く末。

満州事変、日中戦争、真珠湾攻撃、そして日系人強制収容などの史実をベースに、アジア系アメリカ人同士の許されぬ恋のゆくえが静かなトーンで綴られます。Henryと激しい反日感情の持ち主である父親との確執、そして56歳になった現代のHenryと一人息子のMartyとの関係なども織り交ぜながら、少年時代と現代のHenryの物語が交互に展開されていきます。

Keikoを思い続けるHenryの一途さに心を打たれました。Keikoは聡明で、自分の意志をしっかり持った女の子。Henryが彼女を好きになる理由がよくわかります。どんなに過酷な運命にさらされても、二人には幸せになってほしい…そう願わずにはいられませんでした。ラストの数章では胸がじんわり暖かくなり、思わず涙がこぼれました。

Photo by Kuu Lotus on Unsplash

二人の恋の行く末は、タイトルが示す通り「ほろ苦く、そして甘い」もの。ただしその「ほろにが」の部分は、実はこの本の中ではあまり詳しく語られていないところに隠されています。それが何なのかはぜひご自身で読んで確かめていただければと思います。私はこの本を読み終えてからも、Henryの妻Ethelのことをずっと考え続けています…(一応、これがヒントです)。

マイノリティの著者が胸に抱く理想のアメリカ像。

著者のJamie Fordはアメリカ北西部育ちの中国系アメリカ人です。日系人コミュニティや中国系のHenryに対する差別の描写は真に迫っており、静かな語り口の中にも人種差別に対する著者の怒りがにじみ出てくるようでした。

そんな中で本作のアクセントになっているのが、アメリカの良心を思わせる人物の存在です。Henryが慕うサックス奏者のSheldon、そしてぶっきらぼうながらもHenryとKeikoの手助けをする給食のおばさんのMrs. Beattyなどです。これらのキャラクターは、著者の考える「アメリカ人の理想像」そのものなのかもしれません。

この本を手にしたきっかけ。

私がこの本を手に取ったきっかけは「イサム・ノグチ 宿命の越境者」を読んだことです(レビューはこちら>>)。

イサム・ノグチは日本人男性とアメリカ人女性のとの間に生まれた日系二世。日米開戦当時、アメリカ東部のニューヨークに住んでいたノグチは強制収容の対象からは外れていたのですが、アメリカ人による日系人迫害に強いショックを受け、自ら強制収容所入りを志願したといいます。

この逸話を読んで、日系アメリカ人の強制収容についてあまりにも知らなすぎた自分に気づき、戦時下の日系アメリカ人にまつわる洋書を3冊購入したのでした。本作はそのうちの1冊です。残りの2冊も追ってレビューしたいと思います。

自分が知る場所でかつてそんなことが…。

私は19歳のとき、シアトルから車で2時間ほどの街で半年ほど暮らしていました。シアトルにはよく遊びに行きましたし、本作の舞台となったInternational Districtにある日系スーパー「宇和島屋」には何度もお世話になりました。

Photo by Kush Dwivedi on Unsplash

しかし、かつてそのエリアで起きた悲しい人種差別の歴史について、当時はまったく知らなかったのです。日系人の強制収容についてそれまでに学校の授業で習った記憶はないし、現地のアメリカ人からも、そのことに関する言及は一切なかったように思います。

日系人コミュニティ迫害の歴史についてもっと早く知っていれば私の人生観は大きく変わっていたかもしれない思うと、悔やまれてなりません。ついでに言うなら、シアトルに存在したという豊かなジャズ文化についてももっと早く知りたかった…。

今になって自分の無知を恥じ、こうして本を読んだり、テレビのドキュメンタリー番組を見たりして勉強しているところです。今度シアトルに行ったらパナマホテルにもぜひ足を運び、困難な時代を生きた日系人の軌跡を辿ってみたいです。

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