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孤高の芸術家の孤独と怒り。「イサム・ノグチ 宿命の越境者(上・下巻)」ドウス昌代著

和書
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2018年5月、ニューヨークのロング・アイランド・シティにある「イサム・ノグチ庭園美術館」を訪れました。

イサム・ノグチについては、照明器具「akari(あかり)」などでその名前こそ知っていたものの、どのジャンルに属する芸術家なのかについてはあまり考えたことがありませんでした。

(ちなみに我が家には「あかり」が何点かあります。そのうちの一つは、かつて飼っていたインコにかじられダメになってしまいましたが…)

「イサム・ノグチ庭園美術館」を訪れて、彼がどの枠組みにもとらわれない、孤高の芸術家であることを知りました。そして彼の作品からは、見る者を大歓迎するわけでも突き放すわけでもない不思議な存在感、そして寛容性と包容力を感じ取りました。

Photo by teleterapia.fi on Unsplash
ニューヨーク、ウォール・ストリートにあるノグチの作品「Red Cube」。

そのような作品を生み出すイサム・ノグチがどのような人物だったのかを知りたくて、数ある評伝の中から選んだのが、ドウス昌代さんによるこの本です。

孤独と怒りから生まれる芸術

日本人の父とアメリカ人の母の間に生を受けたノグチは、二つの国のはざまでアイデンティティを早々に失います。自分の望むような愛情を両親から受けることができないまま育ったノグチの性格は、徐々に屈折したものになっていきました。

母と自分を捨てて他の女性に走った自分勝手な父親を激しく憎みながら、自らも数々の女性と浮名を流し、時には相手の深い愛情にかこつけて都合よく利用したりします。

その複雑な精神は、そのまま彼の芸術活動にも反映されていきます。どの派閥にも属さず、自分のことを認めない者に対しては敵意をむき出しにします。その一方で、自分を評価し手を差し伸べてくれた人をいきなり拒絶したり、成功が目前に迫ったところで自らそれを手放したりするのです。

Photo by Nadine Shaabana on Unsplash

手に入らないものへの畏れと憧れ

帰属する場所を切望する一方で、ひとつどころに身を置くことを極端に恐れたノグチ。人の愛を誰よりも必要としながらも、他人を心から信用する術を持っていなかったのです。

私が彼の作品から感じた包容力の正体は、「手に入れられないものへの畏れと憧れ」だったのかもしれません。

人は何かに憧れている時が一番幸せで、たとえそれがどんなに恋い焦がれたものでも、いざ手に入れたとたんに情熱が冷めてしまうことがあります。だからこそ憧れは憧れのまま、壊れないように自分の胸に抱きしめていたい…。

生きていると、そんなふうに感じることがときどきありますよね。ないですか? 私はしょっちゅうあります。

ノグチからのメッセージ

ノグチは1988年12月、84歳でこの世を去りました。亡くなる数ヶ月前にノグチが残した言葉を引用します。

「今、世の中は何でもインスタントになりすぎている。文化の中でも一番新しいものばかりおもしろがり、次から次へ先ばかり追いかける。それはとても危ない、なぜなら、人間はそういうものじゃないからです。人間は何年もかけて文化を形づくるようにできている。そのことをもう一度よく見つめ直さねばならない時代に来ているのじゃないですか。日本だけでなく、世界中がね……」

ドウス昌代著「イサム・ノグチ 宿命の越境者」下巻 p.392

天国にいるノグチから見た今の地上の世界は、どのような彫刻に仕上がっているでしょうか。

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