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思いやりと痛みに満ちたブラジルの児童文学 My Sweet Orange Tree (José Mauro de Vasconcelos)

児童文学
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新宿のBooks Kinokuniya Tokyoで、可愛いカバーデザインに惹かれて買った本。ブラジル人作家ジョゼ・マウロ・デ・ヴァスコンセーロスの自伝的な児童小説の英訳版です。

1967年にブラジルで出版されて以来、世界中の人々に読み継がれているという名作。日本でも、これまでに翻訳版が2度出版されています。

1920年代のブラジル・リオデジャネイロ近郊の小さな町。貧困にあえぐ家庭に育った主人公の少年Zezéは、著者の分身です。その健気な姿に涙せずにはいられません。あまりの切なさに、ページを繰る手が何度も止まりました。

あらすじ

5歳の少年Zezéは大変ないたずらっ子。大人たちにいつも叱られ、ひどい懲らしめを受けています。本当は人一倍心のやさしい男の子なのですが、周囲にはなかなか理解してもらえません。

そんなZezéの親友は、家の庭にある小さなオレンジの木。日々の思いをオレンジの木にこっそり打ち明け、おしゃべりを楽しむのです。

そんな中Zezéは、温かい心を持った一人のポルトガル人男性と知り合い、心を通わせていきます…。

ブラジルの容赦ない現実と人の温もり。

子どもの遊びはビー玉やたこあげ。憧れの映画俳優のトレーディングカードが一番の財産――。はるか昔の「陽気なサンバの国」ブラジルで繰り広げられる、貧しくともたくましく生きる少年の成長物語…と聞けば、いかにもほのぼのとした心温まる物語を想像する人も多いでしょう。

確かに、主人公Zezéのひたむきさには胸を打たれます。ちっぽけなオレンジの木を可愛がったり、学校の大好きな女性教師にお花を贈ったり…。持てる手段を精いっぱい使って、好きな人や物への愛情を体じゅうで表現するZezéの姿に、私は何度も泣きました。ある日などは電車の中で読みながら涙がボロボロこぼれて、隣にいた人に二度見されてしまったほど。

とはいえこの作品には、「三丁目の夕日」のようなフワーッとしたノスタルジーで人を釣るようなあざとさはありません。むしろ、映画で言うならイタリアのネオレアリズモ作品(「自転車泥棒」「道」など)のように、貧困にあえぐ人たちの厳しい現実を容赦なく突きつけてきます。

Photo by Linh Nguyen on Unsplash

ギリギリの生活を強いられる中、子どもはこんなにもつらく悲しい思いをしなければならないのかと、一つの章を読み終えるたびにやるせない気持ちになりました。何度もひどい目にあいながらも明るく元気に生きようとするZezéと、そんな彼に愛情の眼差しを向ける幾人かの大人たち。彼らが繰り広げるユーモラスなやりとりが、この物語の唯一の救いです。

児童文学ではありますが、これは今の日本の大人たちにこそぜひとも読んでほしい作品です。この本に書かれていることのいくつかは、現代の日本に暮らす大人の余裕のなさにそのまま置き換えることができます。5歳の頃の自分に戻ったつもりで読めば、こんな生活はまっぴらだと思うでしょう。子どもたちにこんなにもつらい思いをさせるような世の中にしてはならない…そんな気持ちになるはずです。

Photo by Vitolda Klein on Unsplash

「お金がなくても心が豊かであればいい」などという言葉は、お金に困ったことのない成功者の戯言。真っ先に貧困の犠牲になるのは小さな子どもたちなのです。子どもたちの誰もが、クリスマスにはプレゼントがほしいのです。立派な家や、かっこいい車に憧れるのです。職を失い暗い目をして家にこもる父親の姿におびえながら生活したい子どもなど、この世にいるはずがないのです…。

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