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疲れ切っていた私が、日記とモーニングページに希望を見出した件。

本読みの日常
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年が明け、新たな気持ちでこの記事を書いています。

読書の喜びを語りたくて、昨年の7月に立ち上げたこのブログ。

17本の記事をアップしましたが、新規の記事はたったの7本!

残りは過去ブログからの転載でお茶を濁してしまいました。残念なことです…。

仕事に忙殺され、本を読む時間がほとんど取れませんでした。常に心配ごとが頭の中を占拠していて、読書どころではなかったのです。

「読書ができなくなったら、私が私ではなくなってしまう」

そんな恐怖心もあり、外出時は紙の本数冊に加えてKindleを持ち歩き(気分によって読む本を変えられるように)、スキマ時間にはとりあえず本を開くようにしていました。

しかし文字は全く頭に入って来ないばかりか、読みきれないほどの本を詰め込んだリュックの重さで、1日の終わりにはもうグッタリ。

はあ…私はいったい何をやってるんだろう〜。

カバンの中に詰め込まれた何冊もの本
Photo by Shiromani Kant on Unsplash

仕事を円滑に進めるために、自分の感情を押し殺さなければいけない場面が何度もありました。

時には自分の意志とは正反対のことをやったり、言ったりしなくてはいけないことも多々あります。

「そうやって自分にウソをつき続けているうちに、心が本格的に死んじゃうかも…」

私の恐怖は高まる一方でした。

読書は日々の理不尽から逃げるための手段でもあるのに、いろんな邪念のせいで本に没頭できない。

唯一の趣味である読書について自分の言葉でたっぷり語れる場所が欲しくて、このブログを立ち上げたのに、本が読めないせいで何も書けない。

苛立ちばかりが募るのに、外では平気な顔をしていなければならない…。

ストレスも限界に達したある日の仕事帰り、たまプラーザの有隣堂に立ち寄ったところ、文庫本サイズの「ビブリオノート」が目に留まりました。

以前から、その佇まいが「いいな」と思っていたノートです。

しかし、使い道がなかったので、これまで買ったことはありませんでした。

この日、改めてこのノートを手に取ったときに、ふとひらめいたのです。

「そうだ、日記を書こう」


今までに日記は何度も書いてきましたが、長続きしたためしがありませんでした。

1か月以上続けられたのは、小学校の夏休みの絵日記ぐらいじゃないでしょうか。しかしあれは宿題だったからイヤイヤつけていただけ。

これまでに、ほぼ日手帳やクオバディスなどを買って試してみたりもしましたが、ほとんど白紙のまま何冊も無駄にしてしまいました。

手帳のように形式がバチッと決まっているものは、なんとなくキレイにそして映えるように使わないといけない気がして、肩が凝るんですよね(←うるさい)。

でも、なぜか今回は、このノートなら、今度こそ、続けられるような気がして…。

そんなわけで、11月の誕生日から、日記をつけ始めました。

そして…なんと、今日まで1日も欠かさず続けています!

この「ビブリオノート」、ペンの滑りが良く、インクが裏移りすることもなくて、本当に書きやすいんです。

お値段は少々張りますが、この書き心地を一度経験したら、他のノートはもう使えません。

2024年12月22日の日記。日記の継続1か月を記念して、ステッカーとマーカーでページをちょっと可愛くしました

1日につき、見開き2ページ分を使います。

見開き1ページ目の左側はToDoリスト。右側は1日の振り返り。

いいことがあった日や何かの節目の日などには、ステッカーやマーカーでデコったりすることもあります。

見開き2ページ目には「モーニングページ」を書いています。

「モーニングページ」とは、アメリカの映画監督でありアーティストであるジュリア・キャメロンが提唱するジャーナリング術です。

朝起きたらまっすぐノートに向かい、頭に思い浮かんだことをそのまま書きつづるというもの。これを毎日続けます。

カーテンを開け、最初に目に飛び込んできたものについて書いたり、あるいは昨日の出来事について愚痴をこぼしたり、10年後の自分を予想したり、夢に出てきた動物がどんなだったかを思い返したり…。

思考の流れに任せて、ペンを動かす手を休めずに、見開きのページをびっしり埋めます。

これが、最高に気持ちいいんですよ!

書いているうちに、頭の中でゴチャゴチャと絡まった糸がほぐれていき、視界がパーッと開けていくのを感じるんです。

コツは「キレイに書こうとしないこと」。

文章がめちゃくちゃでも、字が汚くても、漢字を間違えても気にせずに、ひたすら手を動かすのです。

愚痴も誰かの悪口も、みじめな気持ちも悲しみも、全部書いて吐き出します。

そうやって、不完全でみっともない自分を認め、許し、水に流してあげるのです。

まさにこれは、脳の排水作業。「脳のおそうじ」なんですよ。


この「モーニングページ」について書かれたジュリア・キャメロンの著書「The Artist’s Way(邦題『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』)」は、長年の私の愛読書です。

心が疲れたなと感じた時は、常にこの本に立ち返ってきました。

英語の原書はベッドの脇の、いつでも手に取れるところに置いてあり、日本語版はKindleに入れて持ち歩いています。

最近、表紙デザインが素敵な新版が出たみたいですね。

「モーニングページ」は、この本の中で、自らの創造性を高めるメインの手段として強調されています。

愛読書だと言いながら、今まで私はモーニングページをきちんと実践できずにいました。

思いつきで何日間か書いては止める、その繰り返し。

しかし今回は、初日から何かが違いました。

書くことを脳が望んでいて、その望みに素直に従ったことで脳が喜んでいるのを、はっきり自覚できたというか。

傷ついた魂を癒すための処方箋が最高のタイミングで空から降ってきた…そんなイメージです。

こういうスピリチュアルな体験も、たまにはいいものですね。


日記とモーニングページを書き始めてから、読書の楽しみが少しずつ戻ってきました。

とりあえずはリハビリとして、前に一度読んだ本(今年最初に選んだのは「Atomic Habit」です)を1日10ページ読むと決め、毎日のToDoリストに加えています。

ページ数は少なめに設定するのがポイント。ToDoリストに10ページと書けば、たいてい15ページは読めます。成功体験を少しずつ積みあげて、自信を取り戻ししていくのが狙いです。

雑念はすべて朝イチで吐き出しているので、あとはスッキリした気分で、やるべきこと、やりたいことに集中できます。

そのせいなのか、本を読めるようになったのと同時に、映画やドラマも楽しめるようになってきました。

枯渇していた感受性の泉がふたたび湧き出しているのを感じます。


日記とモーニングページがこんなにもいい効果をもたらすとは、予想もしていませんでした。

自分の気まぐれと飽きっぽさとは自分でも嫌というほどよくわかっているので、どうせまた三日坊主で終わるだろう、と思っていたのですが…。

今では、早起きしてノートに向かい、1日の終わりにその日を振り返るのが何よりの楽しみになっています。

ノートに向かう時間は、1日のうちせいぜい30分程度。その短い時間を積み重ねるだけで豊かな気持ちになれるという事実に、自分でも驚いています。

ノートにいいことをたくさん書きたいから、生活にも自然にハリが出ます。

…とは言っても、始めてまだ1か月半ほどの話なので、これからどうなるかはわかりません。

この記事をアップした途端にすっかり満足して、また中断してしまうかも…笑

この習慣を少なくとも半年は続け、その成果をブログに書けるように、魂のリハビリに精を出していきたいです。

そして、せっかく立ち上げたこのブログ。この調子でいけば、今年はたくさん書けると思います。

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